山中伊知郎「お笑いライヴを行く!」

チャンス青木さん
 チャンス青木師匠と「出会った」のは5年ほど前のことだった。
 いかにもベテランといった雰囲気で東洋館の舞台に登場したものの、ネタといえば、ダジャレオチのような、いかにも古くさいもの。
 たとえば皇太子殿下と結婚する前の雅子妃が、「ショコラ」という犬を飼っていた。ところが、そのショコラがどこかにいなくなってしまった。さっそく雅子さん、
「だったらショコラへんを捜しなさい」
 まいったなァ。こりゃ笑えないよな、と聴いているうちに、だんだんそのツマラなさに愛着を感じていくようになる。芸人としての年輪というのかにじみ出る人柄というのか、「浅草だもん、こんな人がいたっていいよな」と思わせてくれる、ほのぼのとしたノスタルジーみたいなものが心地よくなっていく。

 で、渋る本人を説得して『ザ・浅草芸人 中二階の男 チャンス青木』という本を書いた。

 ところが、なぜか「不運」が続いた。
 まず取材も終わり、原稿も書き終わって、ようやく印刷に向かおうとしたところで、突然、青木さんのお母さんが入院されて、急きょ、本人は帰郷。それで何か月か、出版は延期となった。
 で、ようやく一段落してご本人が東京に戻ってきたら、脳梗塞でダウン。
 それもどうやら克服して、今度こそ大丈夫と出版を決行し、出版パーティーまで準備したところで、再び体調不良でダウン。
 しょうがないのでパーティーは中止したものの、本は出してしまう。
 そしてテレビ朝日の『アメトーーク!』特別版で浅草のベテラン芸人が登場する回。呼ばれた青木さんは、わざわざ本を紹介すべくカギつきのカバンに入れ、本番になったらそれを出して「よろしく」と見せる段取りになっていた。が、いざ本番、開けるはずのカギが紛失して、とうとうカバンが開かずに紹介できず。
 オンタイムで見ていた私も、つい「なんてこっちゃい!」とその運のなさに歯ぎしりしたものだった。最大のPRチャンスを逃したのだから。
 結局、あまり本は売れなかった。

 よく「オレは持ってる」と自慢する人がいるが、「持ってない」点では、青木さんほどの人はなかなかいない。ネタの中でも、
「青木チャンスからチャンス青木に改名したら、浅草寺から節分の豆まきの仕事が来ましてね。ようやくオレにも運が向いてきたと喜んだら、その年は大雪で豆まき中止」
 と不運を嘆いてた。
「あのビートたけしさんと私は浅草でほぼ同期。昔、まだたけしさんも売れてなかったころ、ある社長さんが私とたけしさんに食事をおごりながら、『たけしより青木のが面白いね』って言ってくれました。今、その社長さん、会うたびに言います。『オレは見る目がなかった』」
 そんな自虐ネタも十八番だった。

 しかしまあ、理解のある素晴らしい伴侶に恵まれて、芸人としての生き方を全うできで、
結果的に見たら、いい人生でしたよ。ちっとも「不運」じゃない。
 隅田川のほとりのベンチに一緒に腰を下ろして、青木さんはフッとつぶやく。
「やっぱり、何かが足りなかったんだろうなァ・・・」
 私は、「まあ、いいじゃないですか。好きな道でずっとやっていけてるんですから」と反応すると、青木さん、
「そりゃ売れたかったですよ。芸人だから」
 ちょっと真顔になって返してきた。
 あ、青木さんにもそんな「野望」があったんだ、と少し驚いた記憶がある。つまりそれだけ、「売れる」ことから超越したイメージを抱いていたのだ。

 享年72。まだ若いといえば若い。でも、いい幕引きだったんじゃないかな。

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